2014年8月24日、ワタリウム美術館(渋谷区)で行われた、増田セバスチャン氏トークショー「2020年の原宿kawaii~運動体としてのアート」で最後にセバスチャン氏が語ったのは、2011年3月11日東日本大震災後の原宿です。
3.11の震災で色を失ってしまった原宿をどう復活させていったのでしょうか。
オリジナリティに包まれたカラフルな光景は消え去った
ホコ天の中止以来、衰退してしまった原宿に新たな息を吹き込んだ「原宿ファッションウォーク」や、世界各地で大盛況となった「Harajuku"kawaii"Experience」は、原宿カルチャーの復活に大きな影響をあたえました。 そんな最中、2011年3月11日東日本大震災が起こりました。
「HARAJUKU」という響きが海外で浸透した矢先の出来事に、「日本は壊滅してしまったのではないか? HARAJUKUも無くなってしまったのではないか?」と、原宿カルチャーに興味を抱いた人々をも震撼させてしまいました。
活気を取り戻したはずの原宿を歩く人々は疎らとなり、商業施設の照明も落され、オリジナリティに包まれたカラフルな光景は消え去りました。その時、「震災によって、日本がヒステリックになってしまった」と、セバスチャン氏は嘆いたそうです。しかし、原宿カルチャーは海外で新たな盛り上がりを見せてきたタイミング。セバスチャン氏は「原宿のカラフルなファッションこそ、希望の光だ!」と考えました。
セバスチャン氏は、震災3日後、原宿を元気にすることで日本の復興支援に繋げるプロジェクト「MIGHTY HARAJUKU PROJECT(マイティハラジュク プロジェクト)」を立ち上げます。震災直後、海外では津波で原宿まで流されたんじゃないか、という噂が広まったこともあり、原宿はちゃんとあることを伝えるため、街の様子を日本語と英語のブログで毎日発信しました。
自費で缶バッヂを作って原宿のショップスタッフや街の人たちに配ったり、海外サイトで缶バッヂを付けたスナップを撮って掲載してもらうことで、「原宿がこれからも存在し続ける」ことを伝えていきました。その結果、世界中で"MIGHTY HARAJUKU"のプラカードを持ったデモが起こってムーブメントになり、原宿は早い段階で元気を取り戻していったのです。
* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。