原宿は、1960年代の原宿族の出現以降、80年代のホコ天ブームと竹の子族、DCブランド・ブーム、90年代のストリートファッション、裏原宿の展開など、常に若者のファッションをけん引してきました。
原宿という地名はない!?
原宿と呼ばれているエリアは、JR原宿駅の西側、表参道をほぼ中央にして、南は渋谷、北西は千駄ヶ谷、西南は青山に囲まれた一帯とされます。「ラフォーレ原宿」、「東急プラザ表参道原宿」、「原宿アパートメンツ」など、原宿の名前を有する建物は多数ありますが、原宿という地名は、1965年の住居表示変更以来、行政的には存在せず、神宮前の町域が大部分を占めています。
江戸時代には宿場町があり、原っぱの中の宿から、原宿と呼ばれた説もあるようです。1906年(明治39年)の原宿駅開業、1919年(大正8年)の明治神宮造営にともない、表参道の大通りが整備されました。1923年(大正12年)の関東大震災を受けて、1927年(昭和2年)には、同潤会青山アパート(現・表参道ヒルズ)が完成しました。第二次大戦末の1945年(昭和20年)、代々木練兵跡地に米空軍宿舎「ワシントンハイツ」が建設され、キディランド、オリエンタルバザーといったアメリカ人向けの店舗も開業しました。こうして、新しいライフスタイルが広まり、おしゃれな街としての原宿が築かれました。
原宿は、文教地区や第2種住居専用地区に指定されたため、大規模な開発が行なわれず、アパートやマンションが並ぶ閑静な景観を形成してきました。これらの大通りの裏手には、細い路地があり、裏原宿やキャットストリートなどの新たなエリアを形成しました。新宿のような歓楽街が無く、セレクトショップやヘアサロン、雑貨店、カフェなどに特化しており、表参道のけやき並木など、緑が豊富なことも特色です。
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