2014/6/22

映画「あいときぼうのまち」菅乃廣監督に聞く 「福島の悲劇はどう位置づけられるのか。穏やかに怒りを表現したかった」

1945年、福島県石川町。学徒動員された中学生の英雄は、核爆弾製造に用いるというウランの採掘を行っていた。66年。同県双葉郡では、原発建設計画が進められていた。大人となった英雄は、原発に強硬な反対の姿勢を示すが、最後は周囲の圧力に屈する。

2011年。英雄の娘・愛子は、結婚し幸せな家庭を築いていたが、少女時代の恋人・健次と再会し、一線を超えてしまう。原発で働いていた息子をガンで失くしたばかりの健次。放っておくことができなかったのだ。愛子の不倫を察知した孫娘・怜は、気づかれないように後を追い、密会の現場を目撃。そのとき、大きな揺れが彼らを襲った――。

4世代、70年にわたり"原子力=核"に翻弄された人々のもがき苦しむ姿を通して、"変わらぬ日本"の構造を浮き彫りにする「あいときぼうのまち」。菅乃廣監督は「人類史の中で福島の悲劇はどう位置づけられるのか。考えてほしい」と語った。

父親が病床でもらしたひと言

菅乃監督は福島県出身。実家は福島第一原子力発電所から50キロ以上離れた場所にある。そのため普段は原発を意識することがなかった。東京で暮らし始めてからはなおさらだ。だが「3.11」の事故をきっかけに、否応なく原発と向き合わざるを得なくなった。

そんな菅乃監督に、ある記憶が蘇る。それは良性の腫瘍が何度も再発する奇病を患い、8年間の闘病の末亡くなった父親が、病床でもらしたひと言だった。「こんな変な病気になったのは、昔浴びた放射能が原因かもしれない」

「父は若い頃、福島第一原発で働いたことがある。そのとき、胸に付けていたガイガーカウンターの針が大きく振れたことがあったそうです」

「3.11」事故では、福島原発の1号機と3号機が爆発。放射性物質は50キロ離れた故郷まで飛んできた。

「父がそうだったように、10年後、20年後に、病気を発症する人が出てくるかもしれない」。菅乃監督の心に沸々と怒りが湧き起こる。その怒りが、原発をテーマとした映画を撮る原動力となった。

* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。

[続き]所属事務所が首を縦に振らない。キャスティングは難航
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