日本は自らの行為を正当化するため「反共」の旗印を掲げた
──虐殺の被害者は「共産党関係者」のレッテルを張られました。権力者が人々の個性を消し、名もなき集団にしたうえで命を奪う。世界各地で起きている現象です。
そうだ。哲学者のマックス・ウェーバーは「現代の国家は巨大な暴力を独占している」と言った。国家はそういう資質を持っている。65年のインドネシアで起きたことは、別の場所でも起きたこと。(大虐殺が)カンボジア、ルワンダ、ドイツで起きた時は、加害者が権力の座から引きずり降ろされた。しかし、世界的には例外的な結末だ。むしろインドネシアのように、加害者が権力を握り続けているケースが多い。
政治家は暴力を使うことにより、物事を集約したり、権力の座に居座るのが法則となっている。現代社会は巨大な暴力の上に築かれている。今回描いたことはその法則に合致し、加害者は裁かれずに罪を逃れている。加害者が自慢気に語る多くのシーンは、まさにその法則を表しているんだ。
──将来的に被害者が口を開き、和解に向かうと思いますか。
(舞台となった)メダンは、他の地域に比べて事実を語ることが難しい。今回告発されたギャングたちが地域を仕切り、独占的に力を握っているからだ。ただし、今回の映画で状況は少し変わった。新聞などメディアが「虐殺は間違っていた」とはっきり書けるようになってきた。ギャングが権力を握っている現状も、少しずつだが問題視できるようになってきた。
──宗教と事件の関連性をどうとらえますか。
今回のケースでは虐殺の後、自らの行為を正当化するため宗教が利用された。彼らの言い分では「被害者は無神論者だった。そのままにしておくと彼らは他人を殺す。だから先に殺してしまう」という論理だ。
しかし、それが本当ではないことは、映画を見れば分かる。イスラム教の祈りの声が町の放送で流れてきた時、彼らは「いま話しているのは共産党員だったんだぞ。俺の手にかからず運がいいやつだ」と話している。犯罪や薬物にも手を染め、宗教的な規範を守っていない。恐らく彼らは敬けんなイスラム教徒ではない。その証拠に下品な話をした後すぐ、お祈りをしていた。見れば分かることだ。
歴史をひもとくと、宗教の名のもとに行われた集団的暴力の中には、実は権力者が野心や強欲にかられ、名目で宗教を使った例がみられる。今回の加害者たちは宗教を口にしながら、敵を抹殺し、金銭を得るため人を殺していた。後づけで宗教や反共産主義などを理由にしたわけだ。
この問題は、結果的にインドネシアの政権を支持してきた日本を含む各国にも関係している。インドネシアの大虐殺は、一つの「冷戦」の産物だったのではないか。日本を含む先進国は、南の豊かな土地を支配したいがために政権を支援した。安い賃金と資源が魅力で、自らの行為を正当化するため、「反共」の旗印を掲げたのだと思う。
* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。