いかに殺人という行為から距離を取れるか
──加害者たちは人を殺すのにまったく迷いがありません。なぜブレーキもなく虐殺が行われたのでしょうか。
殺人を犯す行為は、人間が慢性的に持つ資質だと思う。地球上のほかの生物には見られない。同類を殺すことができるのが人間だ。効率良く、勢い良く、仲間を殺し、トラウマを感じるのもまた、人間の資質だ。
人を殺す場合、対象と距離をどの程度を置けるかが鍵になる。たとえば米軍はアフガニスタン、イエメンで無人機を使い、人々を殺りくしている。(オバマ米)大統領が毎週長いミーティングを行い、リストの中から殺す人間を決める。「この人物は生きていれば今後これだけ人間を殺す。だから先に殺してしまったほうがいい」という論理を使う。大統領自身は哲学のセミナーに出席し、指示しているような気持ちだろう。それが距離の取り方の一つの方法だ。
(インドネシア大虐殺の)加害者にインタビューする過程で、アンワルは41人目の取材対象だった。ほかの人々は「軍からウイスキーを与えられ、感覚が鈍った状態で人を殺した」などと話していたが、アンワルは違った。映画が大好きで、自分のヒーローであるエルビス・プレスリーに感情移入し、明るく踊りながら殺りくしていた。つまり彼にとって「アクト・オブ・キリング」は、殺人という行為そのものであると同時に、演じることで殺人と距離を取る作業になっていたわけだ。
あなたがもし「誰かを殺せ」と言われたら、心の中でブレーキがかかるかもしれない。しかし問題は、どこで誰を殺すかではなく、いかに殺人という行為から距離を取れるかなのだ。
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