某局のエレベーター内に昔からこんな張り紙がある。
「話す内容もマナーモードで」
局のマスコットが口に手を当てて、シーッ!とポーズをとりながら、こう書かれている。たしかにそうだよなぁと、その貼り紙を見ていつも思う。高層ビルのため、エレベーターの密室に閉じ込められている時間が長い分、ついつい内輪話をしてしまいがちだ。しかし、その会話は確実に誰かに聞き耳をたてられてしまっている。ことわざをそのまま書いておいては少々エグすぎる。だから内容もマナーモードにと、二重の意味をかけた標語にしておいたんだろうなぁ。
「きちんと手を洗おう」「扉は閉めよう!」
日本人は本当に標語が好きだ。何か目に見える形で共有したい感覚を、貼り出すことで満足しているようにさえ思えてきてしまう。妙に親切でありがた迷惑のような交通標識や案内図と同じ心理構造なんだろう。
しかしだ。不特定多数ではなく、同じ仕事に携わっている人間が集まる場所にも標語は必要なんだろうか。暗黙の了解でそのぐらいはお互いわかれよ!と思えるような幼稚な内容まで標語として書かれている。たとえば、テレビ局や制作会社に貼りだされている標語を上げてみると―。「コピーは裏紙を使おう」「喫茶コーナーに飲み残しは置かない」「きちんと手を洗おう」「ゴミは分別しよう」などなど。ゴミ分別にいたっては、東京23区はかつては分別していたが、今は可燃不燃物ともに分別する必要がないので、なぜまだ分別を声高に叫ぶ必要があるのか不明。それでなくても幼稚な標語が多い中、さらに今年は節電関係の標語が追い打ちをかける。「扉は閉めよう!」「階段を使おう」「温度は28度にしよう」などなど、もううんざり。
* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。