「香港映画は過去の遺物」とか「もう死んだ」なんて書かれて、すごく腹が立つ(笑)
──香港ではこれまで犯罪アクションが多く作られてきました。他の作品と最も異なる点、アピールしたい点はどこでしょう。
ルク:過去に多くの犯罪映画が作られたので、なかなか脚本が書けなかった。ヒントになったのは08年の米大統領選。(民主党で)ヒラリー(・クリントン)とオバマ(現大統領)が頭を使って戦っていた。組織の上層部の知恵比べにアクションを足せば、独自性が出せると考えた。
──リョン監督は美術、ルク監督は助監督としてのキャリアが長いですね。映画界に入った経緯は。
ルク:僕は歩き始める前から、父に連れられ映画館に通っていた。家業は繊維関係。80年代以降、香港の繊維産業はどんどん中国に移り、仕事は減っていった。高校を出て働こうと思った時、たまたま新聞で「助手募集」の求人広告を見た。たどりついた先は映画会社の「シネマ・シティ」。配給部署で助手として採用された。しばらくして「君、制作部に入れ」と言われ、いつの間にか現場に出るようになり、今日に至る。高校卒業が85年、映画界入りは89年。長いね。業界でも長老だ(笑)。ここ十数年、香港映画は下り坂で、レベルも落ちていると思うよ。
リョン:最近中国の短文投稿サイトで「香港映画は過去の遺物」とか「もう死んだ」なんて書かれて、すごく腹が立つ(笑)。僕らがまだ撮ってないのに、そんなこと言うなって。僕は94年に(映画会社の)「UFO」に入った。90年代、UFOは良作を多く生んだ。あの頃は美術を勉強した人間なら、現場のつらさをいとわなければ、仕事はいくらでもあった。それから今までずっと美術の仕事だ。
──香港映画は製作本数が減っているようです。現場の人々が一番苦労していることは何でしょうか。
ルク:(しばらく考えて)先輩たちを批判することになるかもしれないが......映画製作にかかわる人間が、目先のことしか考えないようになった。投資に対する回収を過分に望むようになった。わずかな投資で、10日や15日の短期間で撮影し、利益を求める。するとどうしても品質は下がる。問題は深刻で悪循環を招いている。
リョン:監督になる前のここ1~2年、繰り返し先輩たちに言われてきた。「撮るなら中国へ行ったほうがいい。市場も大きいし、将来性もある」と。しかし、本当に香港映画に将来はないんだろうか。僕はしっかりした映画を撮り、香港の人たちに見てもらいたかった。今回も結果的に香港でもほかの国でも評価は高く、やればできるじゃないかと感じた。
──製作の初期段階から中国市場を意識しなかったのですか。
(二人同時に)考えなかった。香港のために撮ったんだ。
ルク:中国で売ることはまったく考えなかった。社長(プロデューサーのビル・コン=江志強)に脚本を見せたら、「ああ、これは香港映画だな。合作映画にはならないだろう」と言う。その後、社長は「中国でも売れるのでは」と考え始め、現地でいろいろ意見を聞いてきた。中国で売るには脚本段階で当局の審査を受けなければならない。幸い細かい手直しだけで、ほとんど問題なく許可が下りた。
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