天丼いもやファイナル月間。数回のみのにわか客ですが、閉店前に訪問【辛酸なめ子の東京アラカルト#12】
白山通りを歩いていると、おいしそうな店が並んでいて引き寄せられそうです。シンガポールチキンライスや、オマールエビラーメン、南インド料理、洋食、居酒屋など......。明るい光が漏れる店。ひとりで入るのはちょっと気が引けます。でも、おひとり様も入りやすい、むしろカウンターのみでおひとり様仕様といってもいいお店があります。
神田神保町2丁目の「天丼いもや」。神保町の良心として、長年人々の食をサポートしてきた名店です。でも、今年3月末で閉店する、というニュースが。「とんかついもや」も連れ閉店してしまうそうでさびしい限りです。
何度か訪れたことがありましたが、なくなってしまう前に「天丼いもや」を訪問。19時半頃訪れると、5人ほど並んでいました。隣の「みんなのお寺」という建物も気になりつつ、列に加わりました。「急にはやりだしたね」「ここ、閉店しちゃうんでしょう。急に写真撮る人が増えたよね」常連らしい男女が会話していました。
思い出の店を訪れる人が増えているのが、夜でも列が絶えません。
もう一店舗、もうすぐ閉店する「とんかついもや」も結構混んでいました。
しばらく並んでいたら店主のおじさんが
「ご飯炊く都合あるんで、みんな中入って」
と、謎のルールにのっとって客を店内に導きました。食べている人々の背後で立っている人がじっと眺めていることになり、圧迫感を与えてしまいそうです。
それにしても外の貼り紙には「"いもや"は、昭和34年来の約60年に亘って、皆様にご愛顧いただきましたが、3月31日を持ちまして閉店することとなりました」と書かれていましたが、店主の年齢不詳ぶりにも驚きます。一緒に働いているもうひとりもおじさんなのか若者なのかわかりません。天ぷら油のオイルが肌に皮膜を作って、保湿やスキンケア効果をもたらしているのでしょうか。
メニューは二種類のみ。誰もが頼む正解は......
しばらくして座れたので、「天丼 650円」「えび天丼 850円」のうち、「えび天丼」をオーダー。最後なのでなんとなく高い方にしようと、ふだん貧乏性の自分にしては奮発。久しぶりでメニューの詳細を忘れていたのですが、他の人の丼を見て「天丼」にすれば良かったと後悔。というかほぼ8割が「天丼」をオーダーし、リピーター感を出していました。
「天丼」はエビ、イカ、キス、カボチャ、ノリなどバラエティ豊かでコスパが高いです。「えび天丼」は、エビ、エビ、エビ、エビ、カボチャ、ノリという構成。エビ好きには良いですが......。プチセレブ感を得たくて200円高いものを選んでしまいましたが、エビ責め状態になるとは。でも、天ぷらの衣は優しくふわっとして、汁も滋養がしみる感じでおいしかったです。
オーダーした「えび天丼」。つゆが適度にかかったご飯もおいしくて、心が満たされました。
それにしてもお客さんは誰も一言も、閉店について話しません。「ビチビチ」「シューシュー」という天ぷらを揚げる音だけが響いています。暗黙の優しさと郷愁と切なさがうずまく空間。「ごちそうさまです」「ありがとうございました~」と、いつも通りの挨拶をかわす客と主人。でも、当たり前の日常は永遠には続かないのです。
店を出て、改めて、大通り沿いのこの店は良い場所にあることを実感。店主のおじさんがもし不動産を所有していたら......お店を閉めたあとセレブ生活をしている姿を想像すると、心が安らぎます。
1974年、千代田区生まれ、埼玉育ち。漫画家・コラムニスト。著書に、『消費セラピー』(集英社文庫)、『女子校育ち』(ちくまプリマー新書)、『女子の国はいつも内戦』(河出書房新社)、『なめ単』(朝日新聞出版)、『妙齢美容修業』(講談社文庫)、『諸行無常のワイドショー』(ぶんか社)、『絶対霊度』(学研)などがある。
* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。