2013/4/ 3

映画「ヒッチコック」/ヒッチコック作品は夫妻の間に生まれた「子供」

「ムッシュー・イッチコック」。ヒッチコックと聞くと、反射的にこのフレーズが耳によみがえる。ヒッチコック最晩年の1979年、米映像教育機関アメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)から贈られた功労賞。授賞式の祝辞で、フランソワ・トリュフォー監督が口にした。Hを飛ばすフランス風の発音が印象的だった。式の模様は日本でもテレビ放映され、映画好きの間で話題になった。

"サスペンスの神様"と称され、トリュフォーをはじめ多くの崇拝者を生んだヒッチコック。だが賞には縁遠く、とりわけアカデミー賞には嫌われ続けた。5度も監督賞候補になりながら、1度も受賞できなかった。AFIの功労賞は、そんな"無冠の帝王"に対する、せめてもの償いだったかもしれない。

「サイコ」の製作は苦難の連続 窮地のヒッチコックを救ったのは...

ヒッチコックが「サイコ」(60)の製作に着手したのは、受賞からさかのぼること20年前の1959年。「めまい」(58)、「北北西に進路を取れ」(59)と、立て続けに傑作を発表し、監督としての名声は頂点に達していた――と言いたいところだが、必ずしもそうではなかったようだ。

「北北西に進路を取れ」はヒットしたが、批評家の支持は今ひとつ。「めまい」は興行的に惨敗。今日でこそ"世界映画史上ベストワン"に選ばれるなど、名作の誉れ高い「めまい」も、封切当時は驚くほど評価が低かった。

そういったことが尾を引いていたのか。続く「サイコ」の製作は苦難の連続だった。配給会社のパラマウントは、あまりに内容がショッキングだと出資を拒否。映倫はトイレの映像やシャワールームの殺人シーンにクレームをつけた。ヒッチコックは仕方なく広壮な自宅を抵当に入れて資金を捻出。問題のシーンもなんとか解決したものの、初号試写では酷評を浴びた。窮地に立たされたヒッチコックを救ったのは、映画編集者で脚本家の妻アルマだった――。

さまざまな試練を乗り越えて誕生した「サイコ」。映画「ヒッチコック」は、夫妻の関係に焦点を当て、製作裏話を描いている。夫の華やかな活躍の陰で、アルマがいかに重要な役割を担っていたか。具体的なエピソードで語られるため、創造の秘密を垣間見る思いである。ヒロインのジャネット・リーを「物語の半ばで殺してしまおう」と語るヒッチコックに、すかさず「30分で殺すのよ」と反応するアルマ。その絶妙なコンビネーションこそが、ヒッチコック作品を生み出す原動力だったことがよく分かる。

* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。

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