1968年。日本で初めて高さ100メートルを超す超高層ビル「霞が関ビル」が誕生した。以来十数年、世界貿易センタービル(浜松町)、京王プラザホテル(新宿)、サンシャイン60(池袋)、新宿副都心開発──。超高層ビル計画の中心にはいつも台湾生まれの建築家・郭茂林(かく・もりん)がいた。
郭は日本統治時代の台湾に生まれ、日本へ移住。高度成長期に数々のプロジェクトで指揮をとった。台湾でも多くの高層ビル建設や都市開発計画を手がけ、90歳直前の2010年、故郷への旅に出る。日本と台湾で建築に生涯を捧げた郭の旅に、ドキュメンタリー映画「空を拓く 建築家・郭茂林という男」のカメラが同行する。
デビュー作「台湾人生」(2010)でも、日本統治時代に教育を受けた台湾"日本語世代"を追った酒井充子監督。「日本人であることとはどういうことか。台湾の日本語世代に気付かされた」と語る。
台湾時代の郭さんを知る「通知表」
──郭さんの第一印象を教えてください。
「かわいらしい人」ですね。「台湾人生」を観た人に「こんな人がいる」と紹介されたのが初対面だったのですが、霞が関ビル、副都心、サンシャインを作った人と聞き、どんな人かなと思っていました。でも逢ったらすごくお茶目だった。当時で88、89歳ぐらいでしょうか。郭さんには、人を引き付ける魅力がありましたね。
──撮影では郭さんの最晩年を追っていますが、取材ではどんな苦労がありましたか?
「郭さんの台湾への旅」(2010年)の前に、台湾に住んでいた当時の話を集中的に聞きました。でも、戦後の日本での仕事については、ほとんど聞けずにいて...。そんなとき、台湾の母校で当時の通知表を見せてもらえることができました。台湾では戦後、日本時代の物の多くが捨てられましたが、郭さんの母校では、当時の校長先生が屋根裏に日本時代の資料を隠しておいてくれたみたいです。本当に、幸運でした。
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