ある女性タレントがこんなことをテレビで言っていた。
「大人になると褒められることが少ないけど、本当は誰だって褒められたいもの。そんな人にオススメなのがマラソン。走れるようになる自分を褒めないわけにはいかなくなるの」
私は小学生の頃から高校卒業までこの季節が本当に憂欝だった。3学期の体育の授業といえばマラソンばかり。ひたすら走る。まだブルマー全盛時代で、太い足をさらして学校の周辺を走るのは屈辱以外の何ものでもなかったなぁ。そんな嫌な想い出しか残っていないのがマラソンなのだ。
美ジョガーはなんのために走っているのか
いまでもやっぱりこの時期は憂欝。美ジョガーなる言葉が誕生し、猫も杓子も状態で皇居のまわりを走っている人たちを車窓越しに見ると、拒否反応が出てしまう。ブームに乗っているだけじゃないのというわけだ。休日ランナーともなると遠方から来ている人も多いようで、そうまでして皇居周辺を走りたいのかと思ってしまう。
いくらウェアーを買いそろえて自分を奮い立たせても、走りだすキッカケを見つけることは、私にとって至難の技。しかも走っている時は苦しくて鬼のような形相になるのだから、カッコつけたりキレイを保とうとしてもたちまち化けの皮ははがれる。それだったら、高校時代のジャージを引っ張り出して首にタオル巻いて、近所をテコテコ走っているほうが逆に潔くてカッコイイとまで思ってしまう。オシャレマラソングッズをあれこれ買って、ようやくスタートラインに立ってるようじゃ、企業の戦略にはまっているだけと天の邪鬼の考えしか浮かんでこない。
* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。