2011/1/29

放送作家に適性ってあるのかな…とりあえずこの「4条件+α」

まだ就職先が決まらないという大学4年生が、今年はとりわけ多いらしい。就職内定率は1996年に統計を取り始めて以来の最低という。私が携わっている番組のバイト大学生も、全国を何度も駆け回って就職試験に挑んだと言っていたっけ。幸い、地方の企業で希望業種にありつけたらしく、ほっと胸をなでおろしていた。

そういえば、私の就職も超氷河期と言われた頃だった。多くの学生が四苦八苦して仕事にありついたものの、すぐに転職したり仕事を辞めてしまう人が多かったのもこのころだ。「自分探しの旅」が持てはやされ、「若者はなぜ3年で辞めるのか」と言われた世代。恥ずかしながら、個人的な話をすれば、未だかつて就職したことはなく、万年フリーターのような仕事をしている身。フリーター歴10年ちょっとの私がとやかく言う資格はないのだが、就職難にあえぐ若者たちを見ていると、いったい適性とは何か、職業経験の少ない若者に向き不向きなどわかるのだろうかと疑問を持ってしまう。

「俯瞰」できればそこそこやれる

では、万年フリーター的な放送作家という仕事の適性とは…。

「ある程度いい加減であること」
「人と違ったことが好きであること」
「お調子者であること」
「いかなる状況でも俯瞰できること」

と、これぐらいだろうか。そこで最後の「俯瞰」について考えてみたい。たとえば、ある番組が行き詰ってしまったとする。そこでどうすればいいかを俯瞰していれば、解決の糸口も見つけやすいというもの。そういうことがちゃんとできる人が売れる人間になっていく。

だが、そのような人でも自分の行動となると、なかなか俯瞰することは難しいようだ。諸先輩を見ていても、私生活は意外と破たんしている人も多い。仕事では俯瞰できても、己に対してはできない。これって、占い師が自分自身を占うことはできないというのと、なんだか近い感覚があるような気がする。

だいたい、作家が崩壊した私生活をネタに見なして、より奇抜な人生を送ろうとあらすじを書いても、なかなかそうはいかない。「事実は小説より奇なり」なのかもしれない。

ところで、この言葉を最初に言った人は誰だったんだろうか。探してみると、イギリスの詩人バイロンが「ドン・ジュアン」に記述したものらしい。私生活は破天荒そのもので、貴族のボンボンの身でありながら、放浪の旅に出たり、華麗なるという言葉では収まりきらないほどの女性遍歴をしたりとやりたい放題の人生。36歳で夭逝。この短い人生の中で、彼は「事実は小説より奇なり」と感じたのだとすれば、ずいぶんと濃厚な人生だったに違いない。

* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。

[続き]恥ずかしい部分が重宝される
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