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往年の名女優イングリッド・バーグマン生誕100年を祝し、2015年にカンヌ国際映画祭でプレミア上映された「イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優」。日本公開記念シンポジウム「女優イングリッド・バーグマンの生涯からみる男女役割の変化」がこのほど東京都内で開かれた。
基調講演を行ったジャーナリストのウルリカ・クヌートソン氏は「バーグマンはフェミニストの象徴的存在だった」と語った。
非難轟々の末にハリウッドから追放される
米アカデミー賞主演女優賞を3度も受賞した名女優であるとともに、"恋多き女"として奔放な人生を送ったバーグマン。「イングリッド・バーグマン 愛に生きた女優」は波乱万丈の生涯を、バーグマン自身が撮影したホームムービーや日記、手紙、家族や関係者へのインタビューなどを通して浮き彫りにしたドキュメンタリー映画だ。
クヌートソン氏は、同作の内容を踏まえた上で、女優として、また女性としてバーグマンが歩んだ道を振り返り、彼女が映画界や社会に与えた影響について話した。
ジャーナリストのウルリカ・クヌートソン氏
母国スウェーデンで女優デビューしたバーグマン。「女の顔」(38)では顔にやけどを負った女性、ハリウッドに招かれて撮った「ジキル博士とハイド氏」(41)では酒場の女と、イメージにそぐわない役に敢えて挑戦し、役柄の幅を広げていった。「誰が為に鐘は鳴る」(43)では、自慢の長い髪を切り、戦うヒロインを熱演。「この作品を認めなかった原作者のヘミングウェイも、バーグマンの演技には絶賛を惜しみませんでした」
その後、「白い恐怖」(45)や「汚名」(46)などのヒッチコック作品で全盛を極めるが、イタリア映画「ストロンボリ 神の土地」(49)への出演をきっかけに、監督のロベルト・ロッセリーニと恋に落ち、妊娠。歯科医の夫と離婚し、ロッセリーニと再婚したバーグマンは、非難轟々の末にハリウッドから追放される。
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