舞台劇「毛皮のヴィーナス」のオーディションに、女が遅刻してやってくる。帰り支度をしていた演出家のトマに、女は"ワンダ"と名乗る。役名と同じ名である。だが、女の外見はまるで商売女。しゃべり方も下品極まりなく、トマが求めるワンダのイメージとは正反対だった。
トマは体よく追い払おうとするが、女はやる気満々。自分がいかにワンダ役にふさわしいかをまくし立て、さっさと持参した衣装に着替えてしまう。トマは仕方なく彼女の相手役となって、オーディションを始める。
すると驚くべきことが起こった。セリフを発した瞬間に、女の印象は一変。まるで役柄が憑依(ひょうい)したように、完ぺきな"ワンダ"が立ち現れたのだ。さっきまでの下卑た女はどこに行ったのか。貴族的な言葉づかい。エレガントな立ち居振る舞い。そして香り立つエロス。圧倒されたトマは、オーディションにのめり込み、しだいに虚構と現実の境がつかなくなっていく――。
彼女の下僕(しもべ)へと調教されていく
マゾヒズムという言葉を生むきっかけとなった、ザッヘル=マゾッホの小説に想を得た戯曲の映画化だ。演出する側のトマと、演出される側の女優。いつのまにか力関係が崩れ、立場が逆転していくプロセスが、刺激的なSMシーンも交えながら、緊迫感たっぷりに描かれる。
まず驚嘆させられるのが、序盤で女が見せる鮮やかな変身ぶりだ。無知で無教養なアバズレと思っていたら、実はとんでもなく知的で頭の回転も速い。油断させておいて意表を突くやり方。この時点ですでにトマは女の術中にはまっている。トマは女に翻弄され、彼女の下僕(しもべ)へと調教されていく。
"ワンダ"役に扮するのは、エマニュエル・セニエ。メガホンを取るロマン・ポランスキーの妻である。相手役トマには、ポランスキーそっくりの風貌を持つマチュー・アマルリック。妻であるセニエと、自分と似たアマルリックとを共演させ、SMをテーマとした映画を撮る。何とも粋な趣向ではないか。
自作の「吸血鬼」(67)や「チャイナタウン」(74)では、俳優としての才能も見せたポランスキー。もう少し若かったら、トマ役は自分で演じていたかもしれない。だとすれば、アマルリックはポランスキーの分身。つまり、ワンダ=セニエに翻弄され、服従する男はポランスキー自身ということになる。エンディングはセニエに捧げる愛の讃歌だろうか
。
「毛皮のヴィーナス」(2013年、フランス・ポーランド)
監督:ロマン・ポランスキー
出演:エマニュエル・セニエ、マチュー・アマルリック
2014年12月20日(土)、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかで全国公開。作品の詳細は公式サイトまで。
記事提供:映画の森
* 記事内容は公開当時の情報に基づくものです。